回顾夏目漱石名言选
明治の文豪、夏目漱石が生まれたのは1867(慶応3)年、没したのは1916(大正5)年。
明治时代的文豪夏目漱石出生于1876(庆应3)年,逝于1916(大正5)年。
今年は没後100年、来年は生誕150年と記念イヤーが続くこともあり、漱石に関する番組の放送や記念展が次々と企画されています。
今年为夏目漱石逝世百年,来年则为诞辰150年,为做纪念,与漱石相关的节目及纪念展的策划正在进行。
豊川悦司が夏目漱石役のドラマ『漱石悶々』も放送!
丰川悦司担任主演的电视剧《漱石苦闷》 即将上映
ドラマ『漱石悶々』が12月10日にNHK BSプレミアムで放送される。
NHK BS Premium将于12月10日播放电视剧《漱石苦闷》
宮沢演じる「祇園の女」に振り回され、悶々と過ごした京都での29日間を描く。
描绘夏目漱石被宫泽理惠所扮演的“花街女子”玩弄,在京都度过烦闷的29天。
这部SP电视剧也很有趣!《漱石苦闷》。演出阵容豪华,剧本则由藤本先生操刀。好期待~大概因为今年是夏目漱石逝世100周年吧,好多相关的电视剧呢。之前的《夏目漱石之妻》也相当值得一看呢。
100年たった今でも色褪せない、夏目漱石の言葉
夏目漱石的言语,在百年后的今日依然熠熠生辉
漱石の言葉は先見性を帯びている上に、根源的なのだ。だからこそ、人々の心を魅了し続けている。
漱石的言语不仅具有先见,更道出了事物的本质。因此一直俘获着人们的心。
そんな夏目漱石の数々の名言を集めました。
下文列出了夏目漱石的众多名言。
「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ。」
“所谓温柔,是种能以柔克刚的武器哦。”
『虞美人草』より
出自《虞美人草》
「君は愛嬌あいきょうのない男だね」
“你真是个不懂何为温柔的男人呢。”
「君は愛嬌の定義を知ってるかい」
“你知道温柔的定义吗?”
(中略)
(中略)
「愛嬌と云うのはね、――自分より強いものを斃(たお)す柔(やわ)らかい武器だよ」
“所谓温柔——是种能以柔克刚的武器哦。”
最近では、女性に向かって言われることの多いイメージのある「愛嬌」という言葉を、漱石は男性に向かって説いている。
近来,“温柔”这个词通常给人一种针对女性而说的印象,然而漱石却提倡男性也当温柔。
「自分の弱点をさらけ出さずに人から利益を受けられない。自分の弱点をさらけ出さずに人に利益を与えられない。」
“不暴露自己的弱点就无法自他人处获益,同样,不暴露自己的弱点也无法使他人受益。”
『断片』より
出自《片段》
「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。」
“纵然是一见漫不经心的人,叩问他们的心灵深处,总能听到悲伤的音色”
『吾輩は猫である』より
出自《我是猫》
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しで始まる。
“我是猫。无名无姓。也不知道是打哪儿出生的。”本书全篇就从这句话开始。
中学校の英語教師である珍野苦沙弥の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たち、「太平の逸民」(第二話、第三話)の人間模様を風刺的・戯作的に描く。
本书从中学英语教师珍野苦沙弥家的猫“吾辈”的视点出发,运用讽刺、戏说的手法,描写了珍野一家及其周边友人和门下学生们一众“太平盛世的逸民”的之间的人际关系。
「あせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です。」
“切勿急躁。只需像牛一样,厚着脸皮向前走,这才是最重要的。”
『書簡』より
出自《书简》
この言葉は、作家として世に出た芥川龍之介に、夏目漱石が、書簡の中で記したものです。
这句话记录在书简之中,是夏目漱石给以作家身份出道的芥川龙之介的寄语。
「牛のように 図々しく」というのが、いかにも漱石らしいユーモラスな印象を与えますが、同時に、きわめて現実的なアドバイスになっていると思います。
“向牛一样,厚着脸皮”这句话,俨然体现了夏目漱石特有的幽默感,同时,也是极具现实感的建议。
「女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われます。」
“我一直认为,对女人来说,相较出自人道立场的爱情,更能令她们喜悦,是纵使扭曲但仅钟情于自己的好感。她们所具的这种性质,比男人更加强烈。”
『こころ』より
出自《心》
「君、弱い事を言ってはいけない。 僕も弱い男だが弱いなりに死ぬまでやるのである」
“你绝不可以轻言放弃。我也是个软弱的男人,但即便软弱我也会坚持到最后。”
『森田草平宛書簡』より
出自《至森田草平的书简》
「人間はね,自分が困らない程度内で,なるべく人に親切がしてみたいものだ」
“人这种东西啊,只要还没到为难自己的程度,都会尽可能善待他人的。”
『三四郎』より
出自《三四郎》
1908年、「朝日新聞」に9月1日から12月29日にかけて連載。翌年5月に春陽堂から刊行された。『それから』『門』へと続く前期三部作の一つ。
本文于1908年9月1日至12月29日连载于《朝日新闻》。第二年5月由春阳堂出版发行。是紧接《此后》、《门》两作的前期三部曲之一。
九州の田舎(福岡県の旧豊前側)から出てきた小川三四郎が、都会の様々な人との交流から得るさまざまな経験、恋愛模様が描かれている。三四郎や周囲の人々を通じて、当時の日本が批評される側面もある。
本书描写了出身九州乡野(福冈县旧丰前侧)的小川三四郎在离家之后,通过与都市形形色色的人物交往,获得各种经验以及恋爱的场景。通过描写三四郎及其周围的人物,对当时日本展开评论。
「暗いものをじっと見つめて、その中からあなたの参考になるものをおつかみなさい。」
“凝视那些阴暗的事物,抓住其中可供你参考的东西。”
『こころ』より
出自《心》
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